さいたま市のリフォーム業者をご紹介します。さいたま市(大宮市)、浦和市、上尾市、春日部市、越谷市、川口市、戸田市、桶川市、蓮田市、蕨市、草加市、伊奈町、白岡町のリフォーム業者をご紹介。
リフォーム (reform) は、居住中の住宅の改築や改装、特に内外装の改装を差す。
英語で小規模な居住中の住宅の内外装の改装に相する語はRdecorationでRenovatingとRemodelingは大きなビルディング等や大規模な改築に用いられる。
英語の reform は「改心する、改正する」もしくは広く「作り直す」の意であり、日本語の「住宅リフォーム」に相当する語は Renovation である。また、建築業者の中には「リフォーム」ではなく、「家を作り直す」との意を込めて「リホーム」(ReHome)としているところもある。
概要
住宅リフォームの主なものとしては
- 雨漏りなどの修繕
- 外壁の取り替え
- 住宅設備(キッチン、浴室などの水周り主体)の取り替え、補修
- 今の住宅の床面積を増やす(増築)
- 今の住宅の床面積を増やさずに中の間取りを変える(改築)
- 省エネルギー性能の強化(エコガラス(省エネ複層ガラス)、サッシなど)
- 耐震性の強化(補強工事など)
- バリアフリー対応化
- オール電化
他が挙げられる。
一般的には、近在の工務店を中心にした業者に見積もりや工事を依頼する。基本的に一品対応になるため部材の価格は比較的高めになる。また、現物合わせの作業を精度良く行うために熟練作業が必要となり、小規模な改装であっても高くつくことも多い。
例えばユニットバス取り付け工事では、ユニットバス自体は工業量産品のため価格は明瞭であるが、現物合わせで取り付ける作業に手間を要し作業費がかさむこともある。 そのため、施主が材料を安価で調達し、工事会社へ支給する「施主支給」というシステムを利用し施工するケースも増えてきている。
なお、住宅リフォームを行う場合、築年数やリフォーム業者、リフォーム内容など、条件によっては自治体から補助金が支給される場合がある。
トラブル事例
一般にリフォームには結構なお金が掛かることから、悪徳商法や詐欺に狙われることがある。悪徳商法としては悪質リフォームと呼ばれ、詐欺としてはリフォーム詐欺と呼ばれるが、リフォームに関わる犯罪行為を一まとめに「悪質リフォーム詐欺」ということもある。
悪質リフォーム
契約金額が500万円未満の場合は建設業許可なしで出来る上、建築構造を考える必要はないので素人でも出来る。そのため、とりわけ訪問販売で高齢者や知的障害者を相手に、強引に高額・不必要な契約を行い、契約後も粗雑工事により客を騙す、自宅を競売にかけられるなどの悪徳業者が存在する。予防には契約の取り消しが可能になる成年後見制度が利用できる。
また、訪問販売の一種である場合、業者より書面を受領した日から起算して8日以内であれば、工事が開始あるいは完了していても原則的にクーリングオフ可能で、無償で現状復帰させることも可能である。
なお、国民生活センターから、消費者へのアドバイスとして訪問販売によるリフォーム工事はできるだけ契約しない事という発表が2002年8月21日付けで行われている。
リフォーム詐欺
リフォーム工事をする意思も能力もないのに、被害者に対し虚偽の事実を申し向け、材料費名目で現金を騙し取る事案も発生している。この種の事案では、実際にリフォーム工事に入らないので、前金詐取と言える。
リフォーム価格のパック料金は本当におトク?
リフォーム価格を検討する際に参考にする投函チラシ。ですが、掲載されているパック料金のリフォーム価格には注意が必要です。わかりやすい金額 提示と低価格で思わず飛びつきたくなるものも多いかと思いますが、ちょっと待ってください。今回はパック料金のリフォーム価格表示で気をつけたい点につい てご紹介します。
ガイド:リフォームさいたま
掲載日:2011年01月24日
マイホームにリフォーム予算はいくら必要?
マイホームを長く持ち続けるためには、適度なリフォームが必要です。リフォーム予算はどのくらい計画しておけばよいのでしょうか。家を買う前に、ぜひとも知っておきましょう。
ガイド:リフォームさいたま
掲載日:2008年01月17日
耐震リフォームの費用相場って?
脅迫まがいの営業トークで法外な費用の請求する悪質商法に利用されやすい「耐震リフォーム」。でも本来「耐震リフォーム」は命に関わるほどとっても重要。今回は耐震リフォームの適正価格をQ&A方式でご紹介します。
ガイド:リフォームさいたま
掲載日:2006年07月27日
設計料って払わなくちゃいけないの?
リフォームしようと思い、設計事務所に設計をお願いした。ところが、予定が変更になり今回はリフォームを見送ることに。図面をもらっていなくても設計料は払うものなのか? Q&A方式で説明します。
ガイド:リフォームさいたま
掲載日:2006年06月29日
中古+リフォームで損をしない3つの条件
中古住宅を購入してリフォームして新居にするケースが増えている一方で、意外と知らずに損をしていることもあるようです。今回は中古物件リフォームで損を防ぐための3つのポイントをご紹介します。
ガイド:リフォームさいたま
掲載日:2008年10月27日
業者ごとにリフォーム費用が違うのは何故?
相見積りを取ってみると、業者ごとにこんなにも違うのかというほど見積り金額に差が生じることがあります。そもそもどうしてこんなにも違うのでしょうか。今回は業者ごとに価格差が生じる理由についてご紹介します。
ガイド:リフォームさいたま
掲載日:2008年07月25日
リフォームで損しないために知っておくこと
リフォームを検討中の方も多いと思いますが、やはり気になるのはお金のこと。新築かリフォームかで悩んでいたり、リフォームするか否かで悩んでいる方に、リフォームで損しないために知っておくことをご紹介します。
リフォーム ダンドリチャート
1. 整理と準備
■家族の意見
■簡単な間取図に要望を書き込んでみる
2. 情報収集
■ショールームなどの見学
■パンフレットなどの収集
■メーカーなどへの資料請求
■ご近所や同じマンションで既にリフォームを行ったお宅があれば、話を聞いて参考にする
●一戸建て
地域により建築協定による制約がある場合も
●マンション
管理規約による制限の確認
管理組合への届出
3. 資金計画
■概算で予算を計算しておく
■リフォーム融資を利用する場合は条件を確認
4. 見積もりの依頼
■同一条件で見積もりが依頼できるように、内容は必ず紙に書き出す
■ついでに工事したら安く済む、あるいは合理的なことがないか確認
現地調査
5. 比較検討・依頼先決定
■工事内容/工期
■見積金額
■アフターサービスを比較
■工事実績も併せて確認
6. 正式契約・依頼
特に、
●スケジュールの確認
●工事費の総額と支払い方法は慎重に確認し契約へ
■工事の内容と期間により仮住まいが必要になる場合もあるので、その手当てをする
契約・依頼
追加工事が発生した場合の判断基準
7. 工事前・工事中
■ご近所への挨拶
■管理組合への届出
■工事中の差し入れ&進捗状況チェック
8. 完成・引き渡し
さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南東部に位置する市で、同県の県庁所在地である。政令指定都市。
概要
2001年5月1日、浦和、大宮、与野の3市の合併により成立した埼玉県の県庁所在地[1]。政令指定都市及び業務核都市に指定されている。2005年4月1日には岩槻市を編入し、岩槻区が誕生した。
日本で9番目に多くの人口を抱える市であり、新幹線をはじめ周辺各地の鉄道路線が集結する交通の要衝でもある。
市政
- 面積:217.49km²
- 人口:1,214,077人
- 男性:608,325人
- 女性:605,752人
- 世帯数:507,393世帯
- 人口密度:5,582人/km²
さいたま市と全国の年齢別人口分布(2005年) | さいたま市の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― さいたま市 ■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
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さいたま市(に該当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 / 国勢調査 |
健康
(2010年9月1日現在)
- 平均年齢:41.94歳(男=40.96歳、女=42.92歳)
インフラ整備の状況
- 都市計画道路整備率:44.5%(平成21年度末)
- 下水道普及率:86.6%(平成21年度末)
都市計画事業
現在、市内では旧大宮市の中央に位置した富士重工業の工場跡地を都市再開発する「北部拠点宮原土地区画整理事業」を実施している。
地理
日本の首都である東京の都心部から北に約20-30km、関東平野の中央部に位置する。埼玉県の南東部にあたるが、県内の区分では中央地域とされることが一般的である(県最西部は「西部地域」ではなく「秩父地方」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため)。また、東京から最も近い県庁所在都市である。
関東平野に位置する当市には山岳・丘陵といえる地域は存在せず、全域が台地及び低地からなる。海抜が20mを超える地区は殆どない。荒川の近い市西部に低地が広がるほか、元荒川や芝川、綾瀬川などの中小河川周辺に谷状の地形がみられる。市中央部・東部はこのような低地・谷地を除けば市の北方から市南部に連なる大宮台地上に位置する。主な河川は殆どが北から南に流れており、東西に並列している。
気候はケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候(Cfa)に属するが、本州の太平洋側に一般的に見られるように夏季に比べ冬季の降水量が少なく、またその傾向も顕著である。その一方、冬季は朝晩の冷え込みが意外に厳しく、ほぼ毎日氷点下まで下がり、稀に-6~-7℃台を記録することもある(降雪日は真冬日となることもある)。アメダスのさいたま観測点(桜区にある)における1979年-2000年の22年間の記録によると、年平均気温は14.6℃、年間平均降水量は1338.0mmである。
内陸にある市としては札幌市、京都市に次ぐ人口を有する一方、面積は217.49平方キロメートルであり、政令指定都市としては川崎市、堺市に次いで3番目に狭い。ただし、埼玉県内では秩父市に次いで2番目に広い。また、さいたま市は内陸県にある唯一の政令指定都市である。
東北新幹線と上越新幹線が分岐し、多くの在来線の路線も交錯、また東北自動車道、東京外環自動車道などの高速道路も通過する首都圏北側の交通の要衝といえる。市街地は浦和駅、さいたま新都心駅、大宮駅といった東北本線沿いの、南北に細長い地域を中心に広がっている。
河川・湖沼
- 一級河川: 荒川・芝川・鴨川・綾瀬川・鴻沼川・伝右川・笹目川・元荒川・藤右衛門川など。そのほかの河川は各区の記事も参照。
- 湖沼: 彩湖・別所沼・白幡沼・鴻沼(消滅)・見沼(消滅)
歴史
沿革
さいたま市成立以前の年表は、さいたま市の新設合併に関するもののみ記載している。それ以外の構成旧市ごとの歴史については、浦和市、大宮市、与野市、岩槻市、またはこれらの市に編入された町村の記事を参照。
- 1980年(昭和55年)10月 - 県南中央地域の都市間相互のゆるやかな連合を掲げ、浦和市、大宮市、上尾市、与野市、伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」が発足。
- 1982年(昭和57年)4月 - 従前の首長会議の名称を「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。
- 1982年(昭和57年)9月 - 「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
- 1985年(昭和60年)12月 - 「埼玉中枢都市圏構想」の名称を「さいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字を組み合わせた名称)に変更。
- 1990年(平成2年)7月 - 「政令指定都市化」を公約にして、新藤享弘が大宮市長に就任。だが、単独での実現は現実的には無理で、合併による政令指定都市化を目指すものだった。これには与野市長の井原勇も同調した。
- 1991年(平成3年)4月 - 「政令指定都市化」を公約にして、相川宗一が浦和市長に就任。これに難色だった現職の中川健吉を破っての就任であった。
- 1992年(平成4年)4月 - 国土庁が4市1町の圏域を「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」として承認。
- 1993年(平成5年)6月 - 旧国鉄操車場跡地に、国の10省庁17機関の移転決定。
- 1993年(平成5年)12月 - 4市1町の強固な連合を目標とした「彩の国YOU And Iプラン」を策定。以後、合併政令指定都市化の動きが活発化する。
- 1995年(平成7年)7月19日 - 上尾市が、浦和市・大宮市・与野市からの合併協議会設置請求に対し拒否回答。
- 1997年(平成9年)12月18日 - 浦和市・大宮市・与野市による任意協議会設置。
- 2000年(平成12年)4月29日 - 3市による法定協議会設置。
- 2000年(平成12年)9月5日 - 合併協定調印式
- 2000年(平成12年)9月25日 - 合併関連議案を、3市の市議会が可決。
- 2000年(平成12年)12月22日 - 合併関連議案を、埼玉県議会が可決。
- 2001年(平成13年)1月25日 - 官報告示
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併し、さいたま市発足。
- 人口50万の規模の大きい「双子都市」を含む合併として注目を集めた。同様の「双子都市」合併例としては、他に2003年の静岡市と清水市の合併がある(ただし静岡市と清水市の人口は大きな差があった)。
- 2001年(平成13年)7月29日 - 上尾市が、「さいたま市との合併の是非を問う住民投票」を実施し、その結果は「反対(58.3%)」・「賛成(41.7%)」となった。
- 2001年(平成13年)8月6日 - 伊奈町が、「合併協議を断念する」と返答する。
- 2001年(平成13年)8月8日 - 上尾市が、「合併協議を辞退する」と正式に返答する。
- 2002年(平成14年)3月19日 - さいたま市議会が、「政令指定都市の実現に関する意見書」を可決。
- 2002年(平成14年)3月20日 - さいたま市が、埼玉県知事・埼玉県議会に政令指定都市移行促進について要望。
- 2002年(平成14年)6月28日 - 埼玉県議会が、「政令指定都市の指定促進に関する意見書」を可決。
- 2002年(平成14年)8月9日 - さいたま市が、総務大臣に政令の改正(政令指定都市移行)を要望。
- 2002年(平成14年)10月25日 - 閣議決定
- 2002年(平成14年)10月30日 - 政令公布
- 2002年(平成14年)11月20日 - さいたま市議会が、「政令指定都市関連議案(区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例案)」を可決。
- 2003年(平成15年)1月26日 - 岩槻市が、「岩槻市の合併に関する住民投票」を実施し、その結果は「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市、宮代町、杉戸町、庄和町との合併(8.5%)」となった。
- 2003年(平成15年)2月5日 - これを受けて、岩槻市はさいたま市に対して合併協議を申入れる。
- 2003年(平成15年)2月24日 - さいたま市は、「岩槻市との合併について検討に入る」と返答する。これを受け、岩槻市議会が「さいたま市との任意協議会設置に関する決議案」を可決。
- 2003年(平成15年)3月12日 - さいたま市議会が「岩槻市との任意協議会設置に関する決議案」を可決。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 政令指定都市に指定、9つの行政区が発足。
- 2003年(平成15年)4月21日 - 2市で連絡会「さいたま市・岩槻市合併問題連絡会議」設置。
- 2003年(平成15年)7月15日 - 2市による任意協議会「さいたま市・岩槻市任意合併協議会」設置。
- 2004年(平成16年)6月25日 - 2市による法定協議会設置。
- 2004年(平成16年)8月24日 - 合併協定調印式
- 2004年(平成16年)9月29日 - 合併関連議案を、岩槻市議会が可決。
- 2004年(平成16年)10月13日 - 合併関連議案を、さいたま市議会が可決。
- 2004年(平成16年)12月20日 - 合併関連議案を、埼玉県議会が可決。
- 2005年(平成17年)1月26日 - 官報告示
- 2005年(平成17年)3月25日 - さいたま新都心へのさいたまタワーの誘致に失敗。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 岩槻市を編入合併し、旧岩槻市の市域を区域とする岩槻区が発足。
地区
さいたま市は浦和市、大宮市といった人口規模のほぼ同じ市をはじめとする複数の市が対等の地位で合併したという側面が強い。さらに成立してまだ日が浅いことから、市の歴史は旧4市それぞれについて個別に記述されることが多い。
近世の浦和は中山道の宿場町(浦和宿)として、大宮は中山道の宿場町(大宮宿)や武藏一宮氷川神社の門前町として、与野は脇街道の宿場町として誕生・拡大してきた。一方岩槻は岩槻城(岩付城・岩附城)の城下町および日光御成街道の宿場町として発展してきた。また旧浦和市内には他に、大門(緑区の美園地区)にも日光御成街道の宿場がおかれていた。
旧浦和市は埼玉県庁が置かれて以来裁判所、県警察など行政機能が集積し、埼玉県の行政の中枢として発展した。旧浦和市は瑛九や高田誠など多くの画家の活動の舞台でもあり、同時にサッカーの盛んな地としても知られる。また、旧市内には埼玉大学や浦和高校、埼玉県立浦和図書館などの機関が設置されている。東京都心への利便性が良い事から、現在、旧浦和市単独でも人口が50万人を超えている。
旧大宮市は明治時代の熱心な鉄道誘致により、大宮駅北側に国鉄大宮工場が 建てられ、南側(旧与野・浦和両市にもまたがる)に貨物操車場が設置されるなど「鉄道の街」と呼ばれるようになった。戦後、多くの大企業が埼玉県内の営業 拠点として大宮を選んだために商業、業務機能が集積し、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地となった。そのため、大宮には埼玉県内全域はもとよ り栃木県、群馬県、東京都からも多くの買い物客が訪れる。また東北・上越新幹線が開業後に、両新幹線の沿線では盛岡・新潟と並び、特に新幹線効果を享受した都市として知られる。なお、旧与野市や旧浦和市にもまたがる貨物操車場は1984年に廃止されたが、その跡地は後にさいたま新都心となった。
旧与野市は国道17号沿いに自動車関連工場や自動車ディーラー店が多く建てられたため、「自動車の街」と呼ばれていた。
旧岩槻市は東武野田線・岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積しており、「人形のまち」として全国的に知られる。東京7号線(埼玉高速鉄道)の延伸が計画(蓮田まで)されており、これはかつての計画線・武州鉄道とほぼ同じルートである。
なお、2001年の合併時には浦和と大宮の関係をアメリカ合衆国のワシントンとニューヨークになぞらえて、「新しい市は、『政治と教育の中心』浦和と『経済の中心』大宮が上手く並存した街にしたい」と言う意見が聞かれた。
浦和と大宮の関係
さいたま市は浦和と大宮というほぼ同規模の都市の合併を伴って誕生した経緯もあり、しばしば旧市間の軋轢が指摘される。これに関連して、いくつかの点についてまとめる。
埼玉県庁の位置に関して
埼玉県では、明治維新以降度々県庁の位置をめぐる綱引きが行われており、その多くに浦和・大宮が関わってきた。1869年以降県庁が置かれる浦和、交通の要衝である大宮、旧城下町であり一時は埼玉県庁の設置が予定されていた岩槻と、県庁をめぐる様々な動きの渦中にあった三つの街が、一つの大都市となる珍しい経緯を持つことになった。
- 1869年(明治2年) - 1月、大宮県が誕生。名目上の県庁所在地は大宮宿であったが、実質的な県庁機能は殆どなかった。9月、浦和住民の土地の提供や川口住民の請願により、県庁は浦和宿に置かれることとなり(設置は翌10月)、県名も浦和県に改称。
- 1871年(明治4年) - 7月、廃藩置県により岩槻藩が岩槻県になる。11月、岩槻・浦和・忍の3県が合併して、埼玉県が誕生。太政官は県庁を岩槻町におくよう達したが、県令野村盛秀の巡視の結果、当分の間旧浦和県庁で執務が行われることとなる。(同時に、西部・北部・秩父地方では川越県が品川県を併せて入間県が誕生する。その後1873年(明治6年)6月に入間県は群馬県と合併し熊谷県となる。)
- 1876年(明治9年) - 8月、熊谷県のうち旧入間県部分と埼玉県が合併、現在の埼玉県の領域がほぼ確定する。この際、県庁所在地は浦和宿となった。
- 1886年(明治19年) - 1884年(明治17年)の秩父事件への対応の遅れなどから県庁所在地の偏りの弊害が指摘され、熊谷町への移転運動が浮上。しかし熊谷に支庁を設置することで対応し、県庁は浦和に残る。
- 1890年(明治23年) - 9月25日、勅令により、正式に浦和町が県庁所在地となる。
- 1897年(明治30年) - 12月15日、埼玉県議会が熊谷町への移転建議を可決。しかし、翌1898年(明治31年)1月27日、内務省より「不可」との通知が下る。
- 1948年(昭和23年) - 10月25日、放火により県庁の大部分が焼失すると、その後3日のうちに大宮、熊谷が県庁の誘致に乗り出し、浦和、大宮、熊谷3市の激しい誘致合戦となる。
- 1950年(昭和25年) - 県庁復興対策特別委員会における浦和と大宮の決選投票の結果、県庁の浦和市残留が決定。
鉄道駅に関して
県庁、および県内の主要な教育施設が設置されてきた浦和は数多くの行政施設、文化施設が設置され「県都」、「文教都市」として発展してきた。一方、新幹線など多くの鉄道の結節点となっている大宮駅を擁する大宮は、交通の要衝であるほか、埼玉県有数の経済都市として発展した。なお2008年度のJR大宮駅の1日平均乗車人員は約24万人で、これはJR東日本では新宿・池袋・渋谷・横浜・東京・品川・新橋に次ぎ8位であり、県内においてはトップの座にある。
- 1883年(明治16年) - 8月、日本鉄道により現在の東北本線及び高崎線の一部、上野~熊谷間の鉄道が開通。県庁所在地である浦和に駅が設置される。大宮には駅が設置されなかった。
- 1885年(明治18年) - 3月、大宮に駅が設置される。7月、現在の東北本線の大宮~栗橋間の鉄道が開通。建設にあたり鉄道の分岐点としてさまざまな案が出されその中で浦和、大宮はともに候補として挙げられていた。しかし大宮住民の土地の提供などの誘致運動や鉄道が浦和分岐となることで分岐した北側で経由することになる岩槻の住民による鉄道反対運動(これについては鉄道忌避伝説によるものとの疑いも否定できない)、アメリカ人技師のクロフォードによる大宮案の支持などにより、分岐点案は最終的に大宮と桐生・足利などの機業家の支持を受けた熊谷の2案で争われ、コスト面から大宮に決定した。
- 1894年(明治27年) - 大宮駅に鉄道工場が併設される。
過去の合併構想
第二次世界大戦前から浦和と大宮の合併(官選の宮脇梅吉知事による「大埼玉市構想」など)や蕨、川口などを巻き込んださらに大きな規模が構想されたこともあったが実現されることは無かった。
- 1927年(昭和2年) - 宮脇梅吉が埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想を打ち出す。当時、埼玉県内で市制を施行したのは川越市だけであった。
- 1931年(昭和6年) - 宮脇梅吉が再び埼玉県知事に就任。日進を加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」として打ち出す。
- 1933年(昭和8年) - 熊谷・川口が相次いで市制を施行。合併論が再燃する。
- 1934年(昭和9年) - これを受けて、「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団で、現・さいたま市水道局)が設立。後の合併の礎となる。
- 1939年(昭和14年) - 浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和・与野との一市二町での合併案で対抗する。
- 1940年(昭和15年) - 埼玉県が仲裁に入り、大宮案での合併交渉に入る。六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意。しかし、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。
- 1942年(昭和17年) - 与野町で大宮市への合併運動が起きる。
- 1943年(昭和18年) - これを受けて、埼玉県知事の大津敏男は浦和・大宮・与野との二市一町での合併構想を打ち出す。
- 1954年(昭和29年) - 埼玉県が、いわゆる「昭和の大合併」の合併試案で、二市一町と大久保・土合の二村を加えての合併試案が示される。またもや、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。
- 1962年(昭和37年) - 浦和市議会が、三市と川口・蕨での五市合併を呼びかけ。第一段階で三市、第二段階で川口・蕨との合併をすると言うものだった。
- 1973年(昭和48年) - 三市の市長が合併に関して初会談。また、北九州市の合併推進派の理論的支柱となった、都市社会学者の磯村英一が、三市について「合併しなければ、背を向け続けるであろう」と警告。
さいたま市役所の位置に関して
旧浦和、大宮、与野市の中間にさいたま新都心が 建設されてからは、さいたま新都心が浦和・大宮両都心に次ぐ「第三極」となっている。このことから大宮市は合併時に、新市の名称を「大宮市」とする主張を 取り下げるかわりに新市庁舎のさいたま新都心への建設を主張したが、結局「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置 についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」という玉虫色の妥結がとられている(#名称問題を 参照)。また合併した三市の他にYOU And I(与野・大宮・浦和・上尾・伊奈から頭文字が取られている)構想に組み込まれていた上尾市と伊奈町も合併すると新市の地理的中心は旧大宮市となることか ら、大宮市議会は上尾市の合併離脱を取り下げるよう説得を行っていた。また、前述の宮原土地区画整理事業敷地の一角に北区の区役所が設置されているが、か つて大宮市議会は、ここに大宮市の新しい市役所を建設する計画があったために、新市の市役所として活用する案を推していた。政令指定都市に移行時に建設さ れた北区役所の庁舎はプレハブ造の仮庁舎で業務をしていたが、建設予定地だった場所に北区役所本庁舎を中心とした「プラザノース」が建設され、2008年4月28日に 新庁舎での業務を開始した。この北区役所の周辺の土地は長く更地の区画が多かったが、建築物が建つようになりつつある。だが、どれも仮設的に建設されたも のが多いために再々開発される可能性は残されている。ただし、財政上の問題もあり早急な市役所本庁舎の移転建設は予定されていない。
名称問題
この節の内容に関する文献や情報源が必要です。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。このタグは2009年11月に貼り付けられました。 |
浦和市、大宮市、与野市の三市が合併する時に、新しい県庁所在地に相応しい名称ということで公募を行った上で、県名をひらがなに した『さいたま市』に決定した。全国で唯一、ひらがな名称の県庁所在地である。さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文 字)を正式としており、フォントによっては作字もした上で市報などの活字を全て統一しているが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとして いる。
市名公募の結果では、『さいたま市』という名称は2位であり、1位は漢字の『埼玉市』であった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が3位、『浦和市』が6位、『与野市』は100位以内に入らなかった。公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案を市名候補とした。しかしその後の議論では『さいたま市』を推す浦和市・与野市に対し、大宮市がこの5案になかった『大宮市』(公募3位)を主張した。最終的に大宮市は新市の事務所(市役所)の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨を合併協議書に盛り込ませることで、この主張を取り下げた。
『埼玉』の地名は、本来は埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈さきたま〉)に由来している。この事から、『埼玉』の由来とは無縁で、北足立郡に属する本地域にできた市が『埼玉』『さいたま』を称する事には、「僭称地名だ」 とする否定的な意見がある。また、行田市から、行田市周辺が将来合併する時に用いる可能性があるからという理由で新しい名称に『埼玉』『さいたま』を使わ ないで欲しいという要望も出たが、これはすでに浦和市・大宮市・与野市合併協議委員会の新市名発表の後であり、考慮されなかった(なお、さいたま市発足後 に合併した旧岩槻市は南埼玉郡に属する)。単に市名をひらがなにする事に対しては、同時期に合併が行われた『東かがわ市』『さぬき市』(いずれも香川県)などと共に批判も多い。だが、この『さいたま市』『東かがわ市』以後、全国各地でひらがな名称の市町村や企業が続々と誕生している。なお、中国語などでの表記は『埼玉市』である。
このほか、区名についても、例えば「与野」の地名が消滅したなどの批判がある[3]。
名称選定までの推移 [編集]
- 1997年(平成9年)
- 12月18日 - 任意協議会「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」が設置される。
- 1998年(平成10年)
- 4月15日 - 新市の名称の議論を付託された「第2小委員会」が設置される。
- 10月30日 - 3市の市民代表・学識経験者・マスコミ関係者で構成される「浦和市・大宮市・与野市新市名検討委員会」が設置される(会長:兵藤釗埼玉大学学長)。
- 1999年(平成11年)
- 8月31日 - 第14回第2小委員会開催。新市名検討委員会の報告に基づき、市名の公募の実施が合意される。
- 2000年(平成12年)
- 1月10日 - 市名の公募が実施される。期限の2月18日までに全国から67,665件、8,580種類の応募がなされる。
- 3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案が市名候補として選考され、第2小委員会委員長及び小委員会に報告される。
- 4月4日 - 第22回第2小委員会が開催。浦和市・与野市から『さいたま市』(公募2位)、大宮市から『大宮市』(3位)の2つの市名案が提案される。尚、『大宮市』の名称は新市名検討案の市名候補5案にはないものだった。
- 4月11日 - 第23回第2小委員会が開催。『埼玉』などの名称を使用しないで欲しいとする要望書を提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長が招聘される。
- 4月17日 - 第25回第2小委員会が開催。新市名を『さいたま市』とすることが合意される。
- 4月24日 - 第21回合併推進協議会が開催。新市名を 『さいたま市』(公募2位)とする旨委員長報告があり、議案が提出。即日議決される。
- 4月29日 - 法定協議会「浦和市・大宮市・与野市合併協議会」が設置される。
市名公募の結果 [編集]
応募総数67,665件、うち無効269件
順位 | 市名 | 応募件数 | 順位 | 市名 | 応募件数 |
---|---|---|---|---|---|
1位 | 埼玉市 | 7,117 | 11位 | 浦野宮市 | 920 |
2位 | さいたま市 | 3,821 | 12位 | 和野宮市 | 875 |
3位 | 大宮市 | 3,008 | 13位 | 埼京市 | 827 |
4位 | 彩玉市 | 2,588 | 14位 | 新埼玉市 | 771 |
5位 | 彩都市 | 2,495 | 15位 | 彩の国市 | 685 |
6位 | 浦和市 | 1,821 | 16位 | 大浦野市 | 579 |
7位 | さきたま市 | 1,374 | 17位 | 彩央市 | 506 |
8位 | 大和野市 | 1,131 | 18位 | 宮野浦市 | 488 |
9位 | 彩京市 | 1,025 | 19位 | 氷川市 | 486 |
10位 | 彩市 | 962 | 20位 | 大野浦市 | 479 |
37位 | 関東市 | 217 |
行政区と「区の色」 [編集]
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以下の10区で構成される。「区の色」は市内の小中学生から募集し、区のイメージカラーとして2005年4月に制定された。市の広報誌やポスター等に使用されている。
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